加藤友朗(カトウトモアキ)の名前や出身高校!家族の支えで移植外科医の神の手に!多臓器体外摘出手術とは?

どうも、たみちゃんです。

世界には私達の知らないところで神の手と異名を持つ1人の日本人医師が多くの人達の命を繋いでいます。

その医師の名前は、加藤友朗(かとうともあき)さんと言う方です。

1人単独でベネズエラという国に渡り世界が驚嘆する手術方法で普通なら終末を迎えるしかないと言われているような患者の命を繋いでいるのです。

今日は、「多臓器体外摘出腫瘍切除手術」という神の手を持つ医師加藤友朗さんの経歴やプフ、ベネズエラでの活躍について紹介したいと思います。

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加藤友朗(かとうともあき)の出身高校や経歴は?

1963年(昭和38年)東京で生まれた彼は現在53歳で、、小さい頃より海外での活躍
仕事をするのが夢だったようです。

そんな彼って、、中高生の時にはなんと、分子学ワトソンとクリックの本を読読んでいて、分子生物学の魅力に取りつかれ好きになったそうです。

中高生の時代に、分子生物学って私達の中高生時代・・。

僕は推理小説をよく読んでいましたが。

その頃から、普通の人と頭の構造が違っていたみたいですね。

ただ一つ彼に勝っているといえば結婚して子供がいるってことでしょう。

加藤友朗先生は、結婚しておらず今でも独身らしい。

しかし加藤友朗医師は活動が多岐にわたり忙しい事もあって、結婚していないのは
仕方がないのかもしれませんね。

経歴や出身高校は?

さて、加藤友朗医師ですが、学歴は輝かしいのに出身高校が明かされていませんのは何故?

なんとか知りたいと調べてみました結果。

筑波大学付属駒場高等学校という事がわかりました。

同高校出身者医学の欄に加藤友朗、コロンビア大学。

付属病院肝小腸移植外科部長と掲載されていたので間違いないと思います。

同高校を卒業した加藤友朗さん、1987年に東京大学薬学部を卒業後、医師を目指していた彼は大阪大学医学部に学士入学し1991年に卒業しているのです。

彼が医者としての第一歩を踏みだしたのは兵庫県立伊丹病院での研修医でした。

医者として活躍する頃には30歳を迎えていた彼は子供ころから、海外で活躍するのが夢と思っていたので

外科医として腕を磨くにはアメリカだと決心。1995年から2年間マイアミ大学医学部に
勤務。1997年には小児科f外科准教授に就任しています。

加藤先生は、渡米した当初は患者さんの言う事が早口で聞き取るのに苦労したそうです。

しかしこの困難を、彼は誠実さで乗り切りきって行きました。

加藤友朗先生の誠実さを表すこことして、患者に対して他の医師なら電話で済ませるようなことでも、必ず患者さんんの元に行き対応したという。

その彼の誠実さが患者さんへの信頼へと変わり移植外科医として腕を上げていきます。

そんな加藤友朗外科医が、世界的に認められ有名になったのは、2008年に世界初となる
「多臓器体外摘出腫瘍切除手術」を成功したからです。

現在はニューヨークにあるアメリカの名門校コロンビア大学の医学部外科学教授として又
コロンビア大学付属ニューヨーク・プレスバイテリアン病院の肝小腸移植外科部長として
活躍しています。

加藤友朗外科医の行う手術は、世界でも難しいとされている大人の肝臓を子供の肝臓に移植するという極めて難しい手術ですがこれまでに50人以上の命を救っています。

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スーパードクター、神の手・加藤友朗移植外科医

加藤友朗移植外科医を、人は”神の手”を持つドクターと呼んでいます。

それは他の医師から手術不可能と診断された患者さんを多く救ってきたからです。

お腹の臓器を一度全部、外に出しもう一でお腹に戻すという、手術。

まるでテレビ番組でも見ているのかと錯覚させるこの手術これが世界を驚かせた「多臓器体外摘出腫瘍切除手術だったのです。

もう手術する事はできないと診断された患者の腫瘍を取り除くのに、おなかの内蔵をいったん全部、体の外に出して、腫瘍を取り除いたのち再び臓器をおなかに戻すという。

この手術、臓器はもちろん血管も全て切り離して行われるので、再びおなかに戻す際に、臓器も血管も縫い合わす必要があります。

その縫い合わす、速さ、縫い方の素晴らしさは誰人も真似ができないほど素晴らしいものです。

神の手と人が言うのは、いったん切り離した太さ1mm以下の血管を縫い合わせ、細かく丁寧に針糸をかけて止血していく、その技術からそう呼ばれています本人はそう呼ばれることに戸惑いを感じているみたいですが。

実際この手術、2008年、2009年と二人の患者に行っています。彼の凄いところは老人でも、子供でも手術ができるということです。

*実際手術を行ったのは、63歳の女性と7歳の女の子です。

この手術の成功を、アメリカの主要メディアである『ニューヨーク・タイムズ』やCNN、ABCで大々的に報道され大きな話題となっています。

その後も同じ手術で多くの患者を救ってきた彼を世界中の報道機関が『日本人天才ドクターが世紀の手術を行い、成功している』と大々的に報じています。

そんな天才ドクター加藤友朗医師は、今も日本、海外へと彼の”神の手”を待っている患者のために日々奮闘しています。

尚この手術は、患者も大変だが加藤医師も手術が終えるまで24時間、30時間もかかる事があるようです。

加藤友朗医師の人生観

加藤友朗医師の人生観として僕なりにまとめてみました。

そんなに長い時間かけても患者を救われるのは医師としての、使命感からかそれだけではなさそうです。

それは、加藤友朗医師の人生観とも言える

できるだけ自分の経験をいろんな国に伝えて行きたい。多くの医師に、この技術を教えたい。

その為今は、どんな手術も困難も体力の続き限り各国の患者を救っている。

それに、かれはどんなオファーでも簡単には「NO」と言わなかったダメかと思っても何か方法はないものかと考えるそうです。これは、子供の頃から海外で活躍したいと彼が思っていた事で、ある意味彼の人生観の一端を垣間見る事ができると僕は思っています。

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