どうも、たみちゃんです。
石原裕次郎さんはと言えば、誰もが知る昭和の大スター。
石原裕次郎さんは、多くの方から惜しまれながら52歳という若さでその生涯を閉じられました。
多くの人から愛されヒーロだった裕次郎さん死因は梅毒?ではと噂されていますが
本当のところはどうなのでしょうか?
今回は裕次郎さんの死因は梅毒だったのか?
更に日本中の憧れだったありし日の映画作品や、衣装・車などを見る事ができる石原裕次郎記念館を紹介したいと思います。
石原裕次郎の死因は梅毒だった?
石原裕次郎さんの訃報は当時、新聞の一面に報じら多くの
方が悲しみにくれていました。
一時は回復した姿をファンや多くの方の前に元気な姿を見せていた
裕次郎さんが、亡くなるとは誰も信じられません。
眩しい太陽のようだった裕次郎さん。
当時、ブラウン管を通して見るその姿が眩しくてしかたありませんでした。
しかし亡くなる直前には、何故かお顔がどす黒く映り
持ち前の精悍さが失せてしまっていました。
死因は、何だったのでしょうか?
あの有名な手術の中継を覚えていらっしゃる方もいるかもしれません。
肝臓が悪かった。
大動脈解離だった。
様々な情報が飛び交う中、梅毒だったのでは?がんだったのでは?
公の発表ではこうした内容でした。
C型肝炎に感染して肝硬変から肝臓がんになり、
食道の静脈が破裂、出血死。
正式には肝細胞癌のため死亡という発表がありました。
しかしそれ以降も、本当の死因は、梅毒だったのではという方が
出てきたのです。
石原裕次郎さんを長年苦しめていたのは大動脈瘤でした。
この病気は、動脈の壁が弾力を失って、動脈の内圧
のために、拳のように膨れ上がってしまう病気です。
その原因は、動脈硬化や梅毒によるものが多いと
言われています。
その為、石原裕次郎の死因は梅毒ではと噂が浮上してきた
ようです。
裕次郎さんはお酒やタバコが大好きでした。
映画や番組の撮影の合間にも大好きなビールを浴びるように
飲む姿がテレビでも放映されていました。
長きに渡る無理と不摂生から肝硬変を患っていました。
『西部警察』登場していた裕次郎さんの顔色が土色のよう
だったのは病気のせいだったのでしょう。
石原裕次郎記念館について
石原記念館は、1991年(平成3年)に石原プロモーションの
関連会社として開館しています。
住所:〒047-0008 小樽市築港5番10号
TEL:(0134)34-1188
営業時間
6月~9月
開館時間 午前9時
受付修了 午後5時
閉館時間 午後6時
10月~5月
開館時間 午前9時
受付終了 午後4時
閉館時間 午後5時
休館日 12月27日から1月1日
展示室入場料(消費税込)
大人(中学生以上) 1500円
小人(小学生) 300円
*展示室への入場受付は、営業時間の1時間前まで。
館長は、裕次郎さんの奥さん石原まき子(北原三枝)。
裕次郎が3歳から9歳まで小樽で過ごしていた。
それが縁で小樽に建てられることになりました。
1階には、映画「黒部の太陽」のセットの再現。
映画「栄光への5000キロ」で使用した自動車(510型ブルーバード)
CM、レコードジャケットなどが展示しています。
また裕次郎携わったあの人気ドラマ「西部警察シリーズ」に関連した
グッズを販売しています。
主なものは、タオル、衣類、裕次郎が愛用していた香水を「ボスロン」
として製品化したもの。
2階には、
愛車メルセデス・ベンツ300SL。
愛用のマリングッツ。
ハワイの別荘を再現しています。
喫茶店「ハレ・コンテッサ」にて「裕次郎すいーとあんぱん」
「裕次郎スイートブレッド」を販売しています。
「裕次郎スイートブレッドは店内で製造1日20個の限定品です。
更に、展示品として渡哲也さんの交友関係が縁となり、引退コンサートで
山口百恵さんがステージ上に置いたマイクも展示されています。
アクセス
JR小樽駅より中央バス・ぱるて築港線で約20分
JR小樽築港駅より徒歩約10分
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石原裕次郎記念館閉館
石原裕次郎記念館が、2017年8月いっぱいで閉館する事が決まりました。
理由は、老朽化によるものらしいです。
一時は、建て替えて、リニューアルオープンすることも検討されました。
しかし年々来場者が減少。
その維持費を捻出することも難しくなりました。
石原裕次郎さんといえば昭和の大スターとして、数々の映画や
ドラマ歌手として活躍された方ですが、
当時の石原裕次郎を知る世代は年々減ってしまいました。
石原裕次郎記念館を訪れた方のレビューを見ると
「一度行けば二度とはないなあ・・・・」
そんなレベルのものだと言っている方もいます。
更には石原プローモーションの台所事情も大変だという。
石原プロモーションは元専務とまき子婦人と確執や
経営が悪化しているようです。
専務取締であった小林正彦氏は解任、業界からも
完全に引退が決まったようです。
代表取締役社長の渡哲也さんや、取締役の神田正輝さん
舘ひろしさんも、一俳優として石原プロに残る形となります。
そして石原まき子さんが、代表取締社長に就任し、事業規模や
社員数も縮小して立て直しに取り組まれています。
石原プロの前途は決して明るいものではなく前途多難です。
更に問題があります。
所属タレントの高齢化です。渡哲也さんは年齢的・体力的にもかつての
ように主役を担える状況ではありません。
舘ひろしさんも、連続ドラマなどの主役を演じていますが
かつて程の輝きはありません。
(いくつになってもシブくて好きなんですが・・・)
神田正輝さんも、テレビには出ておられますが年齢にはかてず
最近特に老けてきたな・・・・と感じます。
看板俳優の現状は厳しく、かろうじて若手俳優で活躍しているのは
徳重聡(35歳)さんです。
後のタレント、宮下裕治さん(39歳)、池田務さん(36歳)
金児憲史さん(35歳)の方がいますが、どれだけの方が知っ
ているかもわかりません。
残念ながら僕も名前を聞いてもわかりませんでした・・・
石原裕次郎のようなカリスマ的な俳優はいない。
いかに石原裕次郎の存在がどれだけ大きかったか
改めて知る思いがしています。
昭和の戦後、高度経済成長期に多くの日本人を勇気付けた石原裕次郎。
太陽族の名前の通り、自信を失いかけていた国民にとってまさに太陽のような存在でした。
日が東から昇る様に、時と共に西の空から沈んでいく。
仕方がないのかもしれません。
しかし、昭和の時代、子供の頃にみたあの精悍でちょっと破天荒な危ない空気を纏った魅力に感化された世代の人達にとっては
いまも心の中に太陽のような存在としてあり続けているのかもしれません。
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